とある東大生のブログ

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【下克上】東大生が偏差値40の小学生を1年で御三家に合格させる 第3講【5月】

こんにちは。とある東大生です。

 

ブログ更新サボってました。ゴメンなさい。

また定期的に更新していきますので是非お付き合いください。

 

前回は【現状分析】についてお話ししましたが

今回は【1ヶ月授業を終えての感想】について書こうと思います。

 

 

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todaistudentlife.hatenablog.com

 

 

現状を分析すると言っても、それはあくまで環境から推察するものであり、

完全に正しいわけではありませんし、

実際に授業をしてみて初めてわかることは沢山あります。

 

今回はより視野をマクロからミクロに移して話すというイメージなので、一般論というよりは個人のタイプに関わるようなお話しであり、受験生全般に言えるような話ではないかもしれませんが、ご了承ください。

 

 

①地頭がものすごく良かった

 

これはものすごく受験においてアドバンテージになることです。

才能には様々な種類があります。

 

例えば、暗記力がずば抜けている、計算力がずば抜けている、図面上の立体図形といった見えない場所に対する想像力・空間把握能力などがあります。

 

しかし、暗記や計算は得手不得手などはありますが、基本的には訓練でどうにでもなります。単語的に、才能とは天賦の才であり、努力でどうにもならないものというイメージが一般的にありますが、これらは厳密に言うと才能ではなく能力です。

 

つまり、”暗記の天才”、”計算の天才”と世間一般の小学校で言われている生徒はどこでも学年に2、3人いると思いますが、これらの生徒は日頃のトレーニングによりその能力を培っている場合がほとんどです。

 

しかし、まさに努力ではどうにもならない才能として、”飲み込みの早さ”があります。

これだけはどうにもならないです。

「一を聞いて十を知る」という言葉がありますが、イメージで言うとそれに近いものがあります。

厳密に言うと、教えてみると分かりますが、普通の生徒は10を教えて1吸収するのがやっとで、飲み込みの早い子が3-4吸収するイメージです。今回の生徒は5-6ぐらい吸収するので相当頭が良いです。

 

なんでこんなに頭が良いのに、今までテストで結果を出せてなかったんだ!?というぐらい頭が良かったです。その原因は後ほどわかりますが…。才能のレベルでいうと中学受験において国内で偏差値最高峰の筑駒も余裕で射程圏内に入るぐらいです。(さすがに時期が時期なので今からだと厳しいですが一年前に見ることができれば全然楽勝だったと思います)

 

「来年の2月1日までに偏差値を20上げて第一志望に合格する」という難しい仕事が一気に現実的に感じる嬉しい要素でした。

 

②社会の知識量は今でも受験で通用するレベルだった

 

これもすごいほっとしたプラスの要素でした。

社会が得意、特に単語をしっかり覚えているというのはかなり大きいです。

 

なぜなら、社会は他の教科に比べるとかなり特殊だからです。

何が特殊かというと、社会は暗記にダントツでウェイトが置かれる教科だということであるということです。

 

つまり、社会は知ってるか知ってないかで得点できるか否かが決まる問題が殆どだということです。

例えば理科は知っていることを組み合わせて、即興でその時思い出せない事柄について正しい答えを導くことができます。

(月が東から昇って西に沈むといことを忘れていても、太陽が東から昇って西に沈むことと、月は太陽の光を反射しているだけだということを知っていれば、前述のことを自明に導き出せる)

一方、社会、特に歴史は知っていることを組み合わせても答えを導き出すのは基本的にできません。(等高線、地図といった地理は暗記だけでなくても大丈夫ですが。)

 

もし社会が手付かずの場合、暗記の手伝いもイチからしなければなりません。社会は暗記量がとても多いので、当然ですが時間がかかります。暗記という単純作業に時間を割かれると、特にあと半年しかないという条件の場合、時間切れでゲームオーバーになるリスクがかなり大きくなります。

 

その点で、社会の単語レベルでの暗記はすでにかなり出来上がっているということはかなり良かったと思います。

 

また、知識量に対して偏差値が低いのは、基本的に「点の取れる文章の書き方」を知らないという原因が考えられます。

 

つまり、「問われていることに対して必要な単語を正しいタイミングで漏れなく選択し、正しく配置する」ことができてないだけなので、そこをうまく教えるだけで点数が飛躍的に向上する典型的なパターンなのでそこはかなりプラス要素です。

 

③良い意味で単純だった

これは特に中学受験において相当アドバンテージとなる要素です。

 

前の記事でも述べましたが、中学受験は基本的に親が主導して子供にさせるものであり、僕も経験したことなのでよく覚えていますが、そもそも12歳の小学生が自分を律してストイックに勉強に打ち込むのは正直難しいです。ですから、勉強しないといけないのは頭では一応分かっていますが、周りの友達の誘いもありますし、少しでも勉強したくないと思っています。

 

つまり、モチベーションの維持・管理が中学受験においては勝負の分かれ目になります。

 

そのモチベーションの管理の手段としてよく用いられるものとしてアメとムチがありますしかし、アメとムチには弱点があります。それは何かと言うと、アメとムチの存在が近くにないと、勉強しないということです。つまり、勉強する際のモチベーションに主体的な理由がほとんどなくなってしまうということです。

(例えば、お母さんに怒られるからそろそろ勉強しないといけない、この時間勉強しさえすればおもちゃを買ってもらえるといった目先のモチベーションに囚われ、◯◯中学に行きたいといったことが頭から消えてしまうというような話です)

 

また、僕は賃金をもらって教えているので、かつ僕も学校のスケジュールの合間を縫って勉強を見ているので、四六時中その子の管理をすることはできません。どれだけ頑張っても、週に3回・2時間ずつ見るぐらいしかできないので一週間で6時間しか彼を指導できないのです。一週間は24×7=168時間ありますから、そのうちの6時間などたかが知れています。つまり、授業ももちろん大事ですが、残りの162時間の過ごし方のクオリティーを高めてあげることがはるかに重要なわけです。

 

そのためには彼が少しでもより主体的に勉強をしたくなるような雰囲気を作ってあげることが大事だと僕は考え、そのための手段として

結果を出せばその都度褒めちぎることと

勉強ができること=カッコイイという価値観を植え付ける

ことにしました。

 

もしこれがうまくいけば、

 

日々の宿題をちゃんとこなす

→宿題チェックテストの際に先生に褒められる・実力もつく

→テストで結果が出る

→カッコイイ

→もっと賢い方がカッコよくない?

→もっと賢くなりたい

→もっと日々の勉強・宿題をこなす

→さらに実力も付く・褒められる

 

という勝ち組の無限ループに入ることができます。

つまり、もっと賢くなりたい・カッコよくなりたいというより主体的身近なモチベーションを作ることができます

 

しかし、このサイクルが機能するには生徒の素直さが必要です。このサイクルを回す上での大前提となる勉強ができる=カッコイイという価値観に疑問を持たれると、途端にこのサイクルは破綻するからです。

 

幸い、今回の生徒さんは負けず嫌いかつ素直な性格だったので、このサイクルにはまってくれそうです。毎回授業をするたびにメキメキ実力をつけてきてくれていて、その都度褒めています。勉強した分だけ結果が出るという成功体験をすれば、このサイクルはより加速しますし、実際に実力も目に見えてついてきているので、次のクラス替えテストがとても楽しみです。

 

ここまでが授業開始1ヶ月でわかったポジティブな要素です。もちろんポジティブなことがあればネガティブなこともあります

 

本当はポジティブな要素・ネガティブな要素を一つの記事にまとめて書きたかったのですが、ポジティブな要素をまとめたら思ったよりかなりボリュームが出てしまったので、ネガティブな要素は次回の記事に書こうと思います。

 

それでは次回の記事でお会いしましょう。失礼します。