とある東大生のブログ

とある東大生が興味を持ったもの全般について書いています。

靖国神社で感じた違和感とそれに対する考察【前編】【平成最後の昭和の日】

こんにちは。とある東大生です。

 

気づいたら令和元日になってしまいましたね。

おめでとうございます。令和元年もご贔屓宜しくお願い申し上げます。

 

年末ほどのカウントダウンのモチベーションはなく、疲れてたので

22時に寝て朝7時に起きるという超健全睡眠をしてしまいました。

 

ところで一昨日4月29日は平成最後の昭和の日でしたね。

 

学校もGW休みですし、昼間に空き時間が少しできてやることも特に決めてなかったので、カレンダーを見たところ、【昭和の日】と書いてあったので、

 

「昭和時代といえばなんだろう。63年間も続いたやたら長い時代だからトピックはたくさんあるけど(例えば高度経済成長期とかバブルとか?)、やっぱり一番大きい事件は戦争かな。それだったら上京してからまだ一回も靖国神社に行ったことないし、行ってみるか。」

 

という極めて軽いノリで靖国神社に行ってきました。

首相や大物政治家が参拝に行ったら国内のみならず国際的な論争になってしまうのに、こんな軽いノリで行ってしまってすみません。

 

しかしながら行ってみると予想に反して、たくさん感じることがあったので、備忘録として平成最後の日にここに記しておこうと思います。

 

※予め断っておきますが、僕はいわゆる右翼または左翼的な政治的思考は持っていません。選挙は必ず行くぐらいの普通の大学生です。

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九段下の1番出口を出てすぐの大鳥居

東京メトロ半蔵門線九段下駅の1番出口を出るとすぐ大鳥居が見えます。千代田区の大都会エリアに突如としてだだっ広い緑の空間と超巨大な大鳥居が現れるので厳かで神聖な空間であることを肌で感じます。神社の参拝形式を厳密に守る(例えば、神の通り道である鳥居の真下を避け端を歩くor鳥居の前で礼をきちんとするなど)人がとても多い印象でした。

 

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ふらっと寄った靖国神社でしたが、150周年という節目のなかなか良いタイミングだったようです。 150周年というタイミングのせいなのか、昭和の日というタイミングのせいなのか、何が理由かは詳しくはわかりませんが、黒い街宣車も結構来てましたし、万一に備えて警察官も多数立っており、警戒ムードが漂っていました。

 

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大村益次郎像

大鳥居をくぐり、参道を直進すると参道のど真ん中に巨大な大村益次郎像が鎮座されています。大村益次郎といえば、戊辰戦争で活躍し、日本陸軍の創設者と言われています。ですから近代日本の功労者として靖国神社に銅像が置かれているわけですね。

また、この大村益次郎は当時最新の洋式の双眼鏡を持ち、上野方面を向いています。

なぜ上野方面を向いているのかというと、戊辰戦争のうちの一つ、上野戦争の際に旧幕府側である彰義隊と文字通り上野で対決し、勝利を収めたことで大村益次郎は有名だからです。

実は東大も上野戦争や大村益次郎とゆかりがあるんですよ。東大本郷キャンパスは上野エリアの高台にあり、その昔は加賀藩の武家屋敷でした。(有名ですが、赤門は加賀藩の武家屋敷があった名残なんですよ。)

上野戦争の際に新政府軍は加賀藩の武家屋敷側、つまり今の東大本郷キャンパスに陣取り、大学の裏にある不忍池を挟んで向かい側にある、彰義隊が立てこもった寛永寺に向けて砲撃を行いました。

先程も触れましたが、この大村益次郎像は双眼鏡を手にしています。つまり高台の陣地から双眼鏡で向かいの寛永寺を観察し、砲撃の指示を出している様子なわけです。高台の陣地、つまり今の東大本郷キャンパスで指示を出してる様子が今の靖国神社の真ん中に置かれているのを見て繋がりを感じ、変に感動してしまいました。

 

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慰霊の泉

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 靖国神社で感じたことの一つとして「とにかくモニュメントが多い」ということがあります。モニュメントや灯籠の一つ一つも大きかったり、とにかくお金がかかっているなぁという印象です。その中で最も印象に残っているのがこの【慰霊の泉】です。モニュメントの側にあった説明文によると、戦争の際に祖国の母と水を求めながら息を引き取った兵士の方が多かったそうです。それらの亡くなった方々の霊を鎮めるために、慈愛に満ちた母なる泉と悠久に流れる清らかな水をモニュメントで表現したようです。

なぜこのモニュメントが印象に残ったかというと、このモニュメントを見て(振り返って)

海外、具体的にいうと去年ニューヨークに行った時に見たものを思い出したからです。

それは何かと言うと【グラウンド・ゼロ】です。

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グラウンド・ゼロ

 死者の慰霊という点と、絶え間なく流れる水を用いたモニュメントということで共通点を感じたのかもしれません。また、これは後で振り返って思ったことなのですが、グラウンドゼロを見た時に少し感じた違和感と、靖国神社の歴史資料館である遊就館で感じた違和感がすごく似ていたのです。その違和感の話は次回お話しします。

 

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靖国神社 拝殿

大村益次郎像よりさらに奥へと境内を進み、巨大な菊花紋章と日本国旗が掲げられた神門をくぐると奥に拝殿が見えてきます。首相や大臣クラスの政治家が参拝する時にニュースに映るのは、だいたい神門をくぐる時か拝殿で拝んでいる時がほとんどなので見たことがあるという人は多いかもしれません。

 

靖国神社では国の戦争で亡くなった人々が英霊として祀られています。

僕の祖母の兄が太平洋戦争で戦死しているので、僕の場合は墓参りを兼ねて、参拝させていただきました。

 

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遊就館

拝殿への道を右に曲がると、遊就館があります。戦争に関する歴史資料館という認識でしたが、公式HPによると、西南戦争が終わった直後である明治12年に陸軍卿の山県有朋を中心に「御祭神の遺徳を尊び、また古来の武具などを展示する施設」として構想され、建造されたようです。つまり、祀られている官軍の兵士にまつわること、すなわち戦争の資料に加え、日本書紀といった古文書に登場するようなはるか昔の時代の武具についても展示されているわけです。

 

あと言い忘れてたことなんですが、靖国神社は歴史的経緯として、明治2年に戊辰戦争で多数の死者が出たことを憂いた明治天皇の思し召しにより、

国家のために一命を捧げられた方々の霊を慰め、その事績を後世に伝えること

 を目的として建てられた招魂社を前身としています。

 

これもまた公式HPではっきりと述べられているのですが、

靖国神社で祀られているご祭神は

靖國神社には、戊辰戦争(戊辰の役)やその後に起こった佐賀の乱、西南戦争(西南の役)といった国内の戦いで、近代日本の出発点となった明治維新の大事業遂行のために命を落とされた方々をはじめ、明治維新のさきがけとなって斃れた坂本龍馬・吉田松陰・高杉晋作・橋本左内 といった歴史的に著名な幕末の志士達、さらには日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満洲事変・支那事変・大東亜戦争(第二次世界大戦)などの対外事変や戦争に際して、国家防衛のためにひたすら「国安かれ」の一念のもと、尊い生命を捧げられた方々の神霊が祀られており、その数は246万6千余柱に及びます。

と定義されています。

 

簡単に要約すると幕末に活躍した志士と戊辰戦争以降に政府軍として参加し、命を落とした者(東京裁判で戦犯として処刑された者、シベリア抑留あたりまで)が祀られているわけです。つまり、戊辰戦争で旧政府軍(幕府軍)として亡くなった者は日本人であるにも関わらず、祀られていないのです。

 

てっきり僕は靖国神社の祀る対象は戦争で亡くなった「日本人」全てだと思っていたので、戊辰戦争で亡くなった方は全員祀られていると思っていたのですが、新政府軍以外は明確に排除されているのです。(日本人といえば大和魂、サムライといったものを精神的なルーツとして結びつけている印象があるのに。)

 

また、国のために戦った者を祀るなら、例えば鎌倉時代の元寇の際に亡くなった九州の防人や幕府に奉公する武士を祀るのも筋なのでは、と思いましたが(そもそも資料も多くはないので難しいでしょうが)、遊就館の展示を見ていると元寇の際の資料は全く展示されていません。鎌倉時代よりはるか昔、紀元前7世紀ごろの神武天皇についての資料などは載っているのに。

 

というか、遊就館の資料を見てて気づいたのですが、鎌倉時代から幕末の時代までが空白の時代のようにノータッチなわけです。そして僕の違和感・疑問が確信に変わったのは大政奉還にまつわる資料と解説文を読んでいた時です。

やたらと”王政復古”が強調されていたのです。鎌倉時代から江戸時代末期まで天皇が主権でなかった不遇の時代であったということを印象付けるような表現でした。

 

つまりこの靖国神社、並びに遊就館は天皇目線の色調が極めて濃い資料館なんだなと感じた瞬間でした。僕が靖国神社で感じた違和感のほとんどは遊就館で見たことに対してですが、これらはこの露骨な天皇側からの視点に因るものかもしれません。(※僕は天皇陛下の存在に対して疑問を持っているわけではありません。)

 

遊就館で見たもの気づいたこと、そこで感じた違和感、それに対する考察は次回お話ししたいと思います。

 

それではまた次回の記事でお会いしましょう。失礼します。